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【コラム】【あの頃君を追いかけた⑩】RISE王座戴冠記念、ジュニア時代の安本晴翔を振り返る(執筆者:安村 発)

ジュニア時代からを見てきた試合数の多さでいえば、那須川天心と匹敵する選手が10月20日にRISEでフェザー級チャンピオンに輝いたばかりの安本晴翔だろう。

安本が所属している橋本道場は山本ツインズ、加藤竜二、町田光といったたくさんの名選手やチャンピオンを輩出し続けている。結果、橋本道場へは取材にいく機会が多くなり、その際にはジュニア選手たちの練習風景を見ることも少なくなかった。

その中でも橋本敏彦師範から「ずば抜けたセンスがある子」として紹介された子が、幼少期から道場稽古に励んでいた安本だった。可愛らしい顔ながらも黙々と師範が持っているミットに蹴り、パンチを放ち、3分間のミット打ちでも素早く動いて運動量が半端なかった記憶がある。

ちょうど私はジュニア選手の取材も多くなった時期ということもあり、安本とは試合会場で会うこともしばしば。アマチュアでトータル150戦以上の経験を積んでいるだけに、当然、毎週どこかの団体の大会で会うのはもはや習慣の1つといえた(笑)。さらに橋本道場では、所属プロ選手の試合があれば毎回応援に行かせることで戦い方を“見て覚える”指導法も取り入れていることから、毎週末に開催されるプロ大会の会場で「また会いましたね」と声を掛けるのが常だった。まだ小さかった安本は照れくさそうに苦笑い浮かべていたが、その表情がまた印象深い。

橋本師範が絶賛していた通り、安本が大会に出れば、勝つのは当たり前とばかり各団体のジュニア大会で優勝を重ねていく。特に彼の名前が全国区で一躍名が広まったのは、これまで何度かコラムで紹介しているall Japan Jr Kick 藤原敏男杯 全国大会(以下藤原杯)での優勝だろう。

藤原杯とは500年の歴史を誇るムエタイ史上、二大殿堂のひとつラジャダムナンスタジアムで初めてタイ人以外でチャンピオンとなった“キックボクシングの神様”藤原敏男が総監督を務めるジュニアキックボクシングの日本最強を決める大会だ。“強くて優しい桃太郎のような子どもを発掘する場にしたい”をコンセプトに、北海道、東北、関東、中部、関西、中四国、九州、沖縄の8地区で予選大会が行われ、各地区の代表が東京で決勝大会に臨み、日本一が決まるという壮大なモノだった。今でもここまで大規模で開催しているジュニアキック大会はない。

記念すべき第1回大会(2012年4月15日)には、全国の地区予選から勝ち上がった王者クラスやトップランカーたちが多数集まり、35キロ級には現在アマチュアボクシングで活躍中の高野草子、50キロ級は那須川天心、55キロ級は海人がそれぞれの階級で優勝。その他にも45キロ級には男子に混ざって伊藤紗弥がエントリー。50キロ級には朝久泰央、55キロ級には朝久裕貴の朝久兄弟が出場と、なんとも凄いメンバーが揃っている中、当時ジュニア三冠王にして、MAジュニア軽量級のエースとして期待されていた安本は30キロ級にエントリー。が圧倒的な実力を見せて決勝戦進出を決めた。

 決勝戦で、原田と安本が激突。両者は過去に何度か対戦経験があり、安本が勝ち越している。小刻みにステップを踏む原田に対し、前へ前へ距離を詰めてパンチやローで攻める安本。後半に安本が手数を増やして判定で勝利し、関東地区初の優勝を飾った。M-1ジュニア二階級制覇の原田優音(藤原ジム)、TOP RUNトップランカーの羽手原弘凱(隆拳塾)、全日本グローブ空手3連覇の田河真羽(立志会館堺道場)といったジュニアで鬼ツヨメンバーが出場する中、安本は圧倒的な実力を見せて決勝戦進出。決勝戦で安本は反対ブロックから勝ち上がってきた原田と対戦し、小刻みにステップを踏む相手に、接近戦を仕掛けて手数で優勢を印象付けて優勝を果たした。

1年後の第2回大会(2013年3月31日)には連覇を狙う天心、草野、そして安本も当然出場。全7階級52名が決勝戦の舞台に集結し、激戦必至の藤原杯の決勝トーナメントの火蓋が切って落とされたのだが……。(以下、続く)

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