文◎松井孝夫
これまで時系列で追ってきたK-1の歴史だが、少し時計が遡ることになるが、なぜか1回で終わってしまった幻の大会がある。それが1993年12月19日に東京・両国国技館で開催された『K-2 GRANDPRIX’93』だ。
K-1が主催する大会なのに、なぜK-2なのかというと、単純に体重無差別級の下の階級となる90kg級という意味だ。ちなみにK-3という階級も行われ、のちのK-1MAXへの源流になっている。
K-2GPは8名参加のワンデイトーナメントで行われ、中心になったのは前年のK-1GP準優勝者のアーネスト・ホーストだ。もともとホーストは90kgから無理やり無差別級に挑戦していた経緯もあり、本来の階級でのエントリーとなった。
その他の選手も豪華で、オランダのキックボクシング会のレジェンドでホーストとライバル関係にあったロブ・カーマン(故人)、ムエタイの超象チャンプア・ゲッソンリット、黒い稲妻マンソン・ギブソン、空手家・後川聡之、アダム・ワット、ボブ・ゼンキフォー、タシス“トスカ”ペトリディスの名前が並んだ。
そして、一回戦から白熱の好勝負が続出。ホーストがマンソンのバックブローをもらい、ダウンしそうになるも逆転勝利。チャンプアとカーマンが高レベルの攻防を繰り広げて、会場を何度も沸かした。
準決勝は、ホーストが右ハイキックでワットをKO。カーマンを下したチャンプアがペトリディスを判定で破り、決勝へ進んだ。
このトーナメントは、一回戦と準決勝が3ラウンドだったが、なんと決勝は5ラウンドという信じられないシステムで採用されていた。当時のK-1は、キックボクシングが5ラウンドで行うことが標準だったことから、トーナメント以外は5ラウンドが多かった。
それにしても、トーナメント決勝が5ラウンドなんて、よくそんな地獄の条件で戦っていたものだ。
決勝までにホーストは5ラウンド、チャンプアは6ラウンドを戦っていたため、条件はほぼ互角だろうか。過酷なワンデイトーナメント決勝は、ホーストとチャンプアのハイレベルな攻防が続き、4ラウンドへ突入。ここで長い戦いに終止符を打ったのは、ホーストの右ハイキックだった。
ホーストのハイキックは足首のスナップをきかせてピンポイントで後頭部へ当てる特殊な蹴り方で、チャンプアは失神KO負けを喫するほどのダメージを受ける衝撃のフィニッシュとなった。
担架で運ばれる時にチャンプアは、心配するファンに片腕を挙げて無事を伝えるなど、エンディングまでドラマチックだった。
大会が盛り上がったし、内容もハイレベル。しかし、今回限りでK-2GPが開催されることはなかった。名称の問題もあったのかもしれない。K-2というと、どうしてもK-1の下というイメージを持ったファンもいたことだろう。K-1MAXのような名称でスタートしていれば、もしかしたら新しい伝説が築かれていたかもしれない。
現在でも、90kgの階級は人材が揃っているだけにトーナメントを開催しても面白い。ターザンとか出てくれれば盛り上がりそうだ。(以下、次回)。