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日本の重量級エース佐竹雅昭K-1の成功は彼に託されていた文◎松井孝夫

元正道会館の空手家・佐竹雅昭がいなければ、K-1は注目を集めることがなかったかもしれない。そのくらいの影響力が、当時はあった。この連載でもK-1草創期の状況について触れてきたが、プロ活動をするようになったK-1の母体の正道会館は、前田日明の格闘プロレス団体『リングス』と絡むことで知名度を上げた。

 正道会館の重量級の看板選手だった佐竹は、ヘビー級の恵まれた体格もあり、当時最強のイメージがあった前田と「どちらが強いのか?」という比較論が浮上していた。

 当時のリングスは、世界の格闘家を招聘して強烈な打撃や芸術的な関節技を披露するなど、格闘プロレスとして人気を集めた。のちにPRIDEでトップ選手となる、エメリヤーエンコ・ヒョードルやアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラもリングスが発掘したファイターだ。

 佐竹は寡黙な空手家のイメージを覆すような明るいキャラクターで売り出され、ウルトラマン好きから『怪獣王子』と名乗り、民放のトーク番組に引っ張りだことなる。知名度は右肩上がりになり、世界のヘビー級ファイターと戦えるのは佐竹しかいないとまで期待され、K-1には必要不可欠の存在に成長していた。

 正道会館の全日本大会を3連覇した佐竹は、1990年に全日本キックボクシング連盟のリングへ上がり、キックボクサーのドン中谷ニールセンと激突。キックボクシング初挑戦ながら、ニールセンをKOして実力を証明した。試合途中では佐竹に頭突きの反則があったものの、本人は喧嘩のつもりで戦ったといい、力づくで未来を切り拓くこととなった。

 その後、佐竹は『USA大山空手vs正道空手5対5マッチ』に出場して“熊殺し”ウィリー・ウィリアムスと対戦して判定勝利。顔面攻撃有りのグローブ空手のワンデイトーナメントとなる『トーワ杯カラテ・ジャパン・オープン』で優勝し、K-1への礎を築く。

 K-1の前身ともいえる『格闘技オリンピック』で佐竹は、キックボクシングのWKA世界ヘビー級王者モーリス・スミスに挑戦(ドロー)。さらにピーター・アーツともキックルールで対戦し、ドローに持ち込んだ。

 1993年にK-1の第1回大会が開催されることになるのだが、佐竹の活躍がなければ、フジテレビは放映に踏み切っていなかったかもしれない。

 K-1の第1回大会で佐竹は、一回戦でトド”ハリウッド”ヘイズと対戦した。ヘイズはアポロ・ジム所属のキックボクサーだったが、佐竹のローキックでKO負けを喫し、力の差は歴然だった。

 ちなみにヘイズは、2002年ソルトレークシティ冬季五輪のボブスレー4人乗り競技で、銀メダルを獲得したことが話題に。格闘技では成功しなかったが、アスリートとしての能力は高かったようだ。

 それはともかく、佐竹は一回戦をKO勝ちで突破し、K-1王者へ向けて、幸先のいいスタートを切った。

 ところが準決勝でブランコ・シカティックと対戦すると、左フックを顔面にもらい、まさかのKO負けに。K-1が成功するためには佐竹優勝が必要と思われていただけに、3位に終わったことはショッキングな結果となった(以下、次回)。

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