文明が生まれると、そこには徒手格闘術が存在した。前回のコラムで触れたように世界最古のメソポタミア文明期の紀元前3000年ごろにあったバビロニアの遺跡には、2人の男が組みあう様子が残されている、
さらに紀元前2400年頃に古代エジプト第五王朝時代の壁画により、レスリングが盛んに行われていたと推測されている。そして紀元前1600年頃(※2000年頃という説もある)古代ギリシャでパンクラチオンが誕生した。それから時代が1000年も進むと、パンクラチオンは古代オリンピックで正式種目となる。
チグリス&ユーフラテスから、ナイルへ。肥沃な土地で都市国家が生まれ、地中海交易が発展すると、文明は北上しギリシャに繁栄をもたらす。
エーゲ海のクレタ島で栄えたミノア文明期、エーゲ文明のなかでもクレタ島で発展した青銅器文明は紀元前2000年から600年ほど続いた。その間、紀元前1600年頃のモノとされるフレスコ画には、後にミノアの少年たちのボクシング──と名付けられた画がレスリングを題材とした画と共に残されており、既に素手ではなく拳を覆うグローブのようなモノも確認できる。
紀元前688年 初期の古代オリンピックにおいて、ボクシングとレスリングが共に行われている。そして上記にあるように紀元前648年(※472年という説もある)、パンクラチオンが中期の古代オリンピックで正式種目とされた。誕生から1400年、あるいは1000年を経て──スパルタやマケドニアの兵が略奪や戦争で用いた徒手格闘術が、競技として観衆の前で争われるようになり、大人気を博した。
そういう意味でパンクラチオンは、技術体系としてだけでなく、プロフェッショナル・エンターテイメントとしてMMAの原点だったことになる。
全てを意味するパン、そこに力強さという意味合いのクラトスが結合──全能の力というべき──パンクラトス、カタカナ表記にするとパンクラスに近いパンクラチオンという競技はギリシャからローマに時代の覇者が変わっても、西暦393年まで続けられた。しかも莫大な褒章が国から与えられるようになったローマ期になると、審判を買収する不正行為──つまりは八百長も問題視されるようになっていたそうだ。まさに──以下自粛(笑)。
いずれにせよ、常に戦争状態だったギリシャ時代にあっても五輪期間は国家間の争いも禁止され、禁をおかすと五輪に参加できなくなっていたという。もう既に古代オリンピックの時代から、五輪は国家の威信をかけて行われていたことは間違いない。
加えて古代オリンピックでは初期に戦車競技、中期にも武装競走があったように、要は人を殺める術が、種目となっていたわけだ。これは現代五輪でもアーチェリーや射撃競技、フェンシングのような直接的な行為、あるいは陸上競技のように目的を達成するための手段がスポーツとして競われていることに通じているだろう。
ルールは時間無制限、体重も無差別。年齢だけ区分けされたトーナメント戦は目潰しと噛みつきが禁じ手で、他は全て有効。まさに初期UFCに通じるルールだが、スパルタで実施されていたパンクラチオン競技会では目潰しと噛みつきも許されていたそうだ。
では全能の力=パンクラチオンでは、一体どのような攻防が見られていたのだろうか。当然のように写真や映像など残されておらず、その実態は分からない。後の歴史家が史書などを読み返して書き上げたパンクラチオンの攻防は所詮、想像──イメージでしかない。加えて歴史家の面々に格闘技の知識がないと、正しい形でパンクラチオンを後世に書き残すなど土台無理な話に思える。
そんななかパンクラチオンの攻防をリアルに想像できるのが、この戦いをモチーフとした絵画、彫刻、銅像だ。
(この項、続く)