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【コラム】【印象に残った来日外国人選手②】チンギス・アラゾフ招聘の喜びと大きな心残り(執筆者:中村 拓己)

前回のコラムではK-1プロデューサー就任前、2015年7月にK-1が初代-70kg王座決定トーナメントを開催する際に「マラット・グレゴリアンが招聘できないか?」とリクエストしたエピソードをテーマにコラムにしたが、今回は当時もう一人K-1に招聘したいと思っていた選手のことを書いていきたい。その選手はチンギス・アラゾフだ。

グレゴリアンとアラゾフは2013年4月と12月に対戦しており、この時はグレゴリアンが1勝1無効試合で勝ち越し。ファイトスタイル的にも、ガードを固めてパンチ&ローで前に出続けるグレゴリアンの方がK-1ルールに合うと思い、初代王座決定トーナメントにはグレゴリアンを推薦した経緯がある。結果的にグレゴリアン招聘がずばりとハマり(自分でも言うのもなんですが…)、トーナメント3試合すべてKO勝利という圧倒的な強さで優勝し、新生K-1の初代70kg王座に就いた。

その後、グレゴリアンはGLORYに戦いの場を移し、K-1から離れることになり、2017年6月に第2代王者を決めるトーナメントを開催する流れとなった。そのトーナメントの出場選手を決める際に、推薦したのがアラゾフだった。

アラゾフはグレゴリアンに敗れたあと、イタリアのイベントでシッティチャイ・シッソンピーノンにも敗れて連敗していたのだが、シッティチャイ戦の敗北を最後に負けなしの連戦連勝。しかもムスタファ・ハイダ、クリス・バヤ、エンリコ・ケール、ブルース・コドロン、サイヨーク・プンパンムアンといった強豪選手たちから勝利を収めていた。

この時、アラゾフを招聘したかったのは実績・戦績はもちろん、一番はそのファイトスタイルだ。今でこそ広く知られるようになったが、アラゾフと言えばオーソドックスとサウスポーを頻繁に変えながら、的確なタイミングで技を繰り出すファイトスタイルが代名詞。当時MMAではドミニク・クルーズをきっかけにステップに合わせてオーソドックスとサウスポーを頻繁にスイッチする選手はいたが、キックのトップ選手でそういったスタイルの選手は非常に珍しかった。

またステップワークを駆使する=技巧派というイメージも強いが、アラゾフはそこから確実に相手を仕留める武器も持っており、荒々しさ・パワフルさが目立つグレゴリアンとは違うタイプの倒し方が出来る選手でもあった。新時代のキックボクシングのスタイル、そして見た人に「こんな戦い方をするキックボクサーがいるんだ!?」と思わせることができる選手、それが筆者が考えるアラゾフだった。

アラゾフ自身はKunlun Fight出場を経て、ヨーロッパの大会を転戦していたものの、GLORYには参戦しておらず、契約的にもK-1への出場が可能だった。(ちなみにアラゾフはどこかのプロモーションと契約していると思っていたので「アラゾフ、呼べます」と言われたときは、非常にびっくりした)

実際にアラゾフはグレゴリアンに続いて王座決定トーナメントを優勝し、第2代K-1-70kg王座を戴冠した。一回戦の中島弘貴戦はオーソドックスで左の顔面前蹴り→サウスポーにスイッチして左の飛びヒザ蹴り、準決勝のジョーダン・ピケオー戦はオーソドックス→サウスポーにスイッチして右フック、決勝の城戸康裕戦はオーソドックスでインロー→サウスポーにスイッチして左ストレートでダウンを奪い、まさにアラゾフの変幻自在のファイトスタイルの巧さ・強さが詰まったトーナメントだったと思う。

アラゾフはトーナメント優勝後、2018年3月に初防衛戦で日菜太をKO。日菜太戦以降もヨーロッパで試合を続けながら、K-1で防衛戦を組むプランがあったが、2019年3月にK-1で予定していた試合を怪我で欠場・王座返上となり、グレゴリアンと同じくONEに戦いの舞台を求めた。

グレゴリアンとアラゾフは2023年8月にONEキックボクシングの世界タイトルをかけて対戦し、アラゾフが判定勝利で王座を死守した。ブレイク前夜、そしてのちに世界最強を争う2人を日本に招聘できたことは、自分がプロモーターサイドで仕事をしてきたなかでも大きな思い出だ。ちなみにグレゴリアンがK-1を離れたあと、グレゴリアンVSアラゾフをK-1で組めないかチャレンジしたこともあったが、やはりそれはどうしても難しかった。この2人の試合を日本で見せられた喜びも感じつつ、この2人の対戦を日本で実現できなかったことは心残りでもある。

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