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【コラム】【K-1と立ち技格闘技の歴史③】ホースト、シカティック誰それ? 世界の現実を見せられた衝撃――(執筆者:松井 孝夫)

前回のコラムでは、1993年のK-1GPがフジテレビで放映されたことが成功に導いた理由を書いた。補足になるが、なぜ地上波放送が最大の宣伝効果になるかと言うと、インターネットが普及されていないことはもちろんだが、テレビ局が全面的にバックアップをしてくれるからだ。

事実、当時のフジテレビの人気番組『笑っていいとも!』では石井館長や佐竹雅昭、K-1ファイターが出演したことがあるし、他の同局の番組にもよく登場していた。さらに言えば、大会が近づくと宣伝バナーがスポーツとは関係ない番組にも掲出されるようになり、大袈裟ではなくサブリミナル効果で日本中に広まっていった。

今の時代だと、おススメのバナー広告が頻繁に上位へ出てくる感覚だろうか。社を挙げてかなりの宣伝費をかけていたことが分かる。

前置きが長くなったが、第1回GPは番狂わせの連続となった。一回戦で佐竹は米国のトド・“ハリウッド”・ヘイズからKO勝ち。ここは佐竹に勝たせるようなマッチメイクで、無難にローキックで潰した印象だった。ちなみにヘイズは後日談になるが、2002年のソルトレークシティオリンピックでボブスレー4人乗りの銀メダルを獲得したアスリートとなり、名を広めたことも付け加える。

その他の一回戦だとブランコ・シカティックが、“超象”と呼ばれたチャンプア・ゲッソンリットを右の拳で一撃KO。優勝候補のモーリス・スミスは後川聡之から判定勝利。あとは、もう一人の主役のピーター・アーツが勝てば順当に注目選手が勝ち進むことになっていた。

ところが、当時無名のアーネスト・ホーストがすべての価値観をぶっ壊すこととなった。知名度と期待度が最も高いアーツが、一部の格闘技ファンしか知らないホーストに判定負けを喫したのだ。スコアは2-0だったものの、ホーストが鋭いジャブでアーツを完封し、その時の印象は僅差ではなく大差に思えた。

2人は1988年11月にオランダで一度対戦しており、この時はホーストが勝利している。ただ当時のアーツは17歳でBクラスの新人(※Aクラスが上位選手)。対するホーストは実績があるAクラスの選手だった。その大会ではホーストの相手が試合の二日前に欠場となり、急遽、アーツにチャンスが回ってきたという。結果はホースト勝利だが、新人のアーツがかなり健闘したと戦ったホーストが証言している。

そんな2人の背景を知らない日本の我々からすれば、ホーストって何者?とざわめくことに。

そして、準決勝でも同じことが起こった。まず日本で一番知名度のある佐竹雅昭が、ブランコ・シカティックのパンチでまさかのKO負け(当時は佐竹優勝を信じるファンが多かった)。さらに拍車をかけたのは、またしてもホーストだった。日本で人気のモーリス・スミスを左ハイキックの一撃で失神させてしまったのだ。

ホーストのハイキックは、インパクトの瞬間に足のスナップを利かせるハイレベルのテクニック。一瞬にしてモーリスの意識を刈り取る蹴りに、言葉を失う人も多かったことだろう。

鳥肌が立つようなシーンの連続に、会場のどよめきが収まらなかった。会場にいた格闘家が、「すげぇー」と子どものように興奮していたほどだ。

止めは、GP決勝戦。その強すぎるホーストが、こちらも無名の故ブランコ・シカティックの右拳一撃で失神してしまった。のちに“伝説の拳”と呼ばれることとなったシカティックは、クロアチア出身の元軍人で、クロアチア紛争(独立戦争)にも参加したという経歴がある。伝統派空手とテコンドーをバックボーンに持つものの、初来日時に彼の強さを知る者は少なかったことだろう。

シカティックについては現地クロアチアまで行って本人を取材した経緯があるため、詳細は次回に書くが、世界を日本に見せたK-1の原点、すべてはこの第1回大会に集約されていたといっても過言ではないはずだ。

国内で誰が一番強いのかを争っている場合ではなく、世界を知り、世界で勝つこと。現実を見せられたことで、K-1の求心力が急速に高まっていった(以下、続く)。

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