2002年夏からこの業界に入り、2003年から本格的に格闘技ライターとして仕事を始めて20年以上が過ぎた。もう20年も格闘技ライターもやっているのかと思いつつ、20年も格闘技を見ていれば、格闘技の歴史を変えるような場面に出会うことがある。
例えばそれまで誰も使っていなかった技を使って試合に勝つ選手が現れ、それがスタンダードな技になっていくこともあれば、トリッキーだと思われていたファイトスタイルが当たり前になっていくこともある。
最近で言えば堀口恭司が朝倉海をKOした試合をきっかけにMMA・キック問わず使う選手が激増したカーフキック、和田竜光が考案して平良達郎がフィニッシュ技にまで進化させたオタツロックがそれに当たるだろう。
前回のチンギス・アラゾフに関するコラムでも書いたようにスイッチとステップを繰り返すファイトスタイルも今では珍しいものではなくなった。
そんな中で私がMMAにおける一つの大きなターニングポイントになったと思うのがスクランブルという技術・概念の登場だ。ざっくりと説明するならばテイクダウンされた選手が立ち上がる、テイクダウンした選手が寝かせるという攻防。テイクダウンが立っている選手を倒す攻防だとするならば、スクランブルはそのもう一歩先の立つ・立たせない、寝かせる・寝かされないの攻防だ。
MMAは(やや乱暴な言い方になるが)柔道やレスリングのようにテイクダウンした勝敗が決するものではなく、柔術やグラップリングのようにグラウンド状態で寝技の技術を競うだけのものではない。スタンドとグラウンド、どちらで試合を展開するかが非常に重要になってくる。そのつなぎになるスクランブルの強さは非常にMMA的な技術であり、現代MMAにおいて必要不可欠なものだ。しかしスクランブルが登場する以前はテイクダウンとグラウンドの攻防がそれぞれ別で、そこでの強さが求められていたように思う。
では誰がこのスクランブルをMMAに持ち込み、広く知られるようになったのか。私の中ではそれがシーザー・グレイシー・アカデミーの選手たちで、特に印象深いのがジェイク・シールズだ。
初めてシールズの試合を見たのは2002年12月の修斗での桜井“マッハ”速人戦だった。この試合でシールズはマッハに判定勝利するのだが、この時の感想は何となくテイクダウンが強くてグラウンドで上を取る選手。ずばり試合そのものが面白いとは思えなかった。しかしこのマッハ戦をきっかけにシールズはミルトン・ヴィエイラ、菊地昭、レイ・クーパーを撃破して、修斗世界ミドル級(当時の表記、現在はウェルター級)王者にまで上り詰めていく。
2005年12月に菊地にリベンジを許して修斗王座から陥落したシールズだったが、その後はRumble on the Rockのウェルター級トーナメントに出場し、デイブ・メネー、岡見勇信、カーロス・コンディットを下して優勝を果たし、北米MMAで成功していくことになる。
シールズは特に打撃が強いわけではなく、タックルの形そのものが美しいわけでもない。組みつくだけ組みついたら、時間をかけて上を取る。下になったら身体を起こしてぐちゃぐちゃになりながら上を取り返す。試合を見ていると何となく上を取って勝っている。強いのは強いけれど、何が強いのかよく分からない選手だった。(同門のギルバート・メレンデスもシールズと同じような動きをする選手ではあったが、動きそのものに躍動感があり、動くたびに激しく揺れるカーリーヘアの影響で派手に見えた)
しかしこの“何となく上を取る”こそ、今で言うスクランブルの技術であり、シールズは早くからこの技術を駆使してMMAで勝ち続けていたのである。
筆者がこの“何となく上を取る”を技術として認識したのが2007年大晦日にJ.Z.カルバン(ジェシアス・カバウカンチ)と対戦が決まった青木真也に取材した時のこと(※試合そのものはカルバンが負傷欠場)。この取材で青木はカルバン戦の鍵になるポイントとしてシールズの技術を“立ち力”という名で紹介し、シールズの“何となく上を取る”がいかに高度で、MMAにおいて重要な技術かを解説してくれた。
この技術解説はまさに目からうろこで、筆者のMMAの見方をガラリと変え、自分の中のMMAにおける強さの基準を設けるきっかけにもなった。
あれから格闘技ライターの仕事を続け、K-1プロデューサーの仕事を経て、ライター業に復帰してもうすぐ1年が経つ。この1年で数多くのMMAの試合を見るようになったが、“何となく”で見ているものが実は革命的な技術かもしれない。そしてその技術的な裏付けを取材を通して見つけていくのがこの仕事の面白さでもある。
筆者にとってジェイク・シールズはMMAの奥深さや格闘技ライターの仕事の楽しさを教えてくれたファイターだ。シールズさん、当時は「試合が面白くない」「どこが強いか分からない」なんて思ってごめんなさい!