パンクラチオンに関しては、その戦いがどのようなモノであったのか──全容を知ることはできない。世界各地の博物館や美術館で展示、あるいは所蔵される文献や絵画、彫刻、銅像から想像力を膨らませ、「そうであったのだろう」と予想するのみだ。
ここでは可視化できる画、彫刻、銅像より、パンクラチオンを考察しようと思う。
パンクラチオンを題材とした彫刻で、もっとも有名なのは「フィガリアのアリシオン」だろう。パンクラチオンの試合で対戦相手のバックを制し、後ろ手にとって右手を振り上げている勇ましい彫刻だ。
フィガリアという土地名は今もアテネの西方250キロに残っており、今では村の人口が50人らしいが、古代ギリシャ時代には城塞都市が形成されていたとされる。そのフィガリア生まれのアリシオンは、紀元前572年と同564年の古代オリンピックでパンクラチオンのチャンピオンとなり、他にも3度の準優勝経験があるパンクラチアストとされている。加えて紀元前564年大会の決勝で相手の足を破壊して試合に勝利したものの、その時には絶命しており、死して3度目のチャンピオンになったという逸話が残っている。
ともあれ、そのフィガリアのアリシオンの像は相当数が確認されているが、それはローマ時代に模造品が創られていたからだ。また中世や近代においても製作されるなど、アリシオンはパンクラチオンを象徴しているパンクラチアストだったと思われる。
このアリシオンの像で見られるパンクラチオンの攻防は一見、バックを制し左腕で相手選手の右手を後ろ手に取り、右手の拳を握っているようにも見える。ただし、彼の左肩を相手の背中に完全についており、取った左手は伸びていて逆はとっていない。さらにいえば握った拳の使い道も分からない。左足はワンフックで──左肩を相手の背中につけていると、完全にアリシオン自身の体の方がねじれており、ここから右腕を捻るのはあまりにも体のメカニズムとして不自然だ。
ならば、殴ろうとしているのか。それにしても、やはり左肩を背中につけているとパンチの妨げにしなからない。素晴しい造形美ではあるが、実際のところ現状のMMAに通じる技術を表しているようには見えない──のがフィガリアのアリシオンの実情といえる。
フィガリアのアリシオンから一、二世代進んだ紀元前500年頃の焼き物には、スタンドで向き合ったパンクラチアストの画が確認できる。一方の選手が相手の左足首を右手で掴み、左手をヒザ裏から足の付け根に伸ばしている。蹴り足をキャッチして、倒そうとしているのか。あるいはシングルレッグに入っているのかもしれない。
さらに大英帝国博物館に所蔵されているイタリアのブルチで発掘された赤絵式の陶器画は紀元前490年~480年に描かれたとされており、現代MMAのケージレスリングに相当される攻防が確認できる。片膝をついて防御状態にあるパンクラチアストの左足を、攻めている方のパンクラチアストが両足で束ねつつ、頭を左胸の前に押し付けて押し込む。立ち上がろうとする相手を制しているような動きにも見えるが、恐ろしいのは2人ともアイポークを狙っている点だ。
パンクラチアスト達の横にはレフェリーらしき男性も描かれており、とりわけ両者を分けようという風でもない。これは想像でしかないが、目つきや噛みつきが認められていたとされるスパルタでのパンクラチオンの試合を描いたものかもしれない。
同じく紀元前490年頃に創られたとされ、アムステルダム国立美術館に残る壺の画は、相手の右足を左手で取り、右の拳を握っているパンクラチアストの姿が見られる。ここでも審判がその様子を見守っているが、この拳の使い道は実際には不明だ。
パンクラチオンとされる彫刻、像、画というものは、総じて格闘技の見地でいえばレスリングの試合の可能性も十分に考えられる。史家でなく、MMAの記者とすればこの点には言及する必要があるだろう。
©By metmuseum.org
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/249067
そのなかで、これは打撃を想定していると想像したくなるのが、陶器の描かれた画も存在する。上の壺の画から40~50年ほど進んだ紀元前440年頃に創られたとされる陶器では、単体のパンクラチアストがスタンドで構えている様子が残っている。
アップライトとまでいえないが、レスリングとは明らかに違う腰高のスタンス。特徴的なのは前手だけでなく、奥手も掌を見せている点だ。掌を立てて、左手をいっぱいに伸ばし。右手で掌底を打とうとしているようにも見える。
© Unknown artist – Marie-Lan Nguyen
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2538556
対して紀元前330年頃、アテネで創られた陶器に描かれているのは、スタンドでがぶるように左手で相手の首に巻いた男性が、右の拳を握っているものだ。技を仕掛けられているパンクラチアストはヒジを押してエスケープを図っている。仕掛けた方の選手の右手は殴ろうとしているのか、またはクラッチを組んでギロチンを仕掛けようとしているのか。絞めではなく、レスリング的にがぶろうとしているだけかもしれない。
©MatthiasKabe
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=543375
ミュンヘン州立古代美術博物館に残る──紀元前2世紀の銅像では、スタンドバックのワンフック状態で、レスリングでいうところのアームバーを仕掛けている様子が伺える。ここでもヒジ関節を90度以上に逆に取ることはなく、当時の彫刻、画、銅像からはキムラや腕十字のような技は残っていない。両掌で首を直接絞め、開催地によってはアイポークが認められているルールで体の先端を挫く、関節技は発展しなかったのかもしれない。
またこの項で取り上げるなかで、最新のパンクラチオンの痕跡は西暦2、3世紀のモノとされるローマのレリーフだ。この彫刻では正対したパンクラチアストの一方が相手の右腕を左手でつかみ、ヒザを急所に突き上げているというもの。パンクラチオンは西暦393年に廃止され、この彫刻が彫られてから2世紀を経てるとローマは西と東の帝国に分かれ、その両帝国が滅びることで欧州の歴史は古代から中世に移る。
冒頭に書き記したようにパンクラチオンの痕跡は少なく、何よりもギリシャ、ローマの覇権が終わると、いわゆる直伝ということでパンクラチオンは伝承されることがなかった。近代オリンピック以降=現代において復興したパンクラチオンはボクシングやレスリングなど他のマーシャルアーツとして、継承された技術を合わせて再構築されたに過ぎない。
そして、この間にギリシャローマを起点として格闘術は侵略、侵攻、戦争という名の下に起こった文化の交流によって世界に伝播され、またそれぞれの地域の自然環境や生活文化のなかで生まれた戦闘術、余興の境界線を持たない土着格闘技が世界各地に興った。そのなかには根幹をなす技術として、あるいは枝葉の技術としてMMAで垣間見ることができる格闘技が数多く存在している。
(この項、続く)