2006年10月1日、扇久保博正は東京都世田谷区の北沢タウンホールでプロデビュー戦を行った。改めて当時の写真を見ると、今ではグラップラーとしての印象も強くなった彼のMMAには、常に極真空手で培った蹴りがあったことを思い出した。
岩手県久慈市出身で幼少期から極真空手を学んでいた扇久保は、柔道を経てパラエストラ久慈(現アカデミアラッソーナ)で総合格闘技を始める。その後、パラエストラ久慈の鹿糠智樹代表の紹介でパラエストラ松戸に移籍。2005年9月に全日本アマチュア修斗選手権フェザー級(当時は60キロ以下、現在のバンタム級に近い)で優勝し、プロ昇格を果たす。
2006年はMMAの覇権が日本から米国へと変わっていく時期でもあった。日本ではフジテレビがPRIDEの中継から撤退した一方で、米国ではUFCが前年から放映を開始したリアリティー番組『ジ・アルティメット・ファイター』で人気を博し、翌2006年末にはPPVイベントの販売件数が100万件を超える。PRIDEは地上波中継がなくなったことで経営困難な状態につながり、2007年には当時UFCを運営するズッファ社のオーナーであるロレンゾ・フェティータに売却され、完全に日本と米国の立場は逆転した。
PRIDEの活動休止後、日本にはDREAMと戦極という2つのビッグイベントが誕生したものの、国内のMMA人気は下降することになる。PRIDE時代に恩恵を享受したファイターの中には、その時点でリングから去る者もいた。それほどまでに「PRIDEショック」は大きかったのだ。重量級が中心であったPRIDEが、中軽量級に特化したブランド「PRIDE武士道」をスタートさせたことにより、国内の中軽量級ファイターもPRIDE出場を目指すようになる。さらにPRIDEショック以降は、その目標がUFCへと明確に変わっていった。
ある意味、2006年から2007年にかけてプロデビューしたMMAファイターは、そんな時代の狭間に生まれた選手たちだ。その代表的な存在が扇久保博正と石渡伸太郎だと思う。
話を2006年の扇久保プロデビューに戻そう。丸坊主姿でガッチリとした体型の新人は、柔道とパラエストラ仕込みのテイクダウン&トップキープで、試合を優勢に進めるファイターだった。同時に、極真空手出身らしい綺麗な左上段蹴りを見せ、マイク・ハヤカワに判定勝ちを収めている。翌2007年3月の矢作尚紀戦はドローに終わったものの、当時はそんな言葉も使われていなかったが、スクランブルの強さも見せていた。
同年12月には新人王トーナメントを制し、以降は堀口恭司戦を始め黒星も経験しながら修斗環太平洋王座と世界王座を奪取し、2014年からフライ級に転向してVTJトーナメントで優勝している。準決勝のカナ・ハヤット戦と決勝のシーザー・スクラヴォス戦で勝利のポイントとなった右ロー、というよりも右下段と呼ぶべき蹴りを見て、改めて彼のベースが極真空手にあることを思い出した。
そこで当時、ゴング格闘技で扇久保が極真会館の練習に参加するという企画を実施した。幸いなことに鶴屋浩パラエストラ千葉ネットワーク(現THE BLACKBELT JAPAN)代表は極真会館千葉下総支部と親交がある。さらに千葉下総支部には世界ウェイト制軽量級王者、小沼隆一が所属している。原点回帰ともいえる極真、特に世界王者の練習に参加した扇久保は「MMAを引退したら極真で壮年部の試合に出たいんですけど無理かなぁ」と言うほど、極真空手への愛に溢れていた。
VTJフライ級トーナメントで優勝した2016年、扇久保はTUFシーズン24に参加する。他の主な参加者と、その現在は次のとおりだ。
ティム・エリオット=TUF24優勝。現フライ級世界11位
エリック・シェルトン=2017年にUFCと契約、2019年までオクタゴンで戦う
アレッシャンドリ・パントージャ=現UFC世界フライ級王者
マット・シュネル=現フライ級世界12位
ブランドン・モレノ=元UFC世界王者で、現世界2位
カイ・カラフランス=現UFC世界4位
テレンス・ミッチェル=2023年にUFCと契約
結果論に過ぎないが、これだけのメンバーが揃ったトーナメントで準優勝したにも関わらず、扇久保はUFCとの契約には至らなかった。彼が見せたグラウンドコントロール主体のファイトスタイルは、UFCが求めるものではなかったという意見も聞かれる。しかしそれも結果論でしかない。空手の蹴りがあるからこそ彼のグラップリング力が生かされ、MMAで結果を積み上げてTUFに参加できたのだから。
あれから8年が経ち、扇久保の目標は主戦場とするRIZINフライ級を世界一にすることへと変わった。そのなかでジョン・ドッドソンと対戦し、三日月蹴り、左下段、さらには右上段を当てて元UFCファイターに勝利している。時が流れて場所、階級が変わっても、彼が求めてきた強さは変わらない。彼の蹴りを見るたびに、いつもそう思う。