前回のコラムでは新生K-1旗揚げ当時の中国の立ち技格闘技の急成長ぶり、そしてそれを日本のファンに届けるきっかけになった選手としてジャオ・フーカイについて書いた。今回はその続編として、中国の立ち技格闘技のレベルの高さを証明し、今の地位やポジションを創った第一人者としてユン・チーを紹介したい。
2016年6月24日、ユン・チーは新生K-1のリングで初来日を果たした。しかし新生K-1旗揚げ戦(2014年11月)に出場したフーカイと違い、ユン・チーの場合は小宮山工介と対戦予定だった卜部弘嵩の負傷欠場を受けての代打出場。本来戦っている階級(57キロ前後)よりも1階級上の60キロでの出場だった。
しかもフーカイがクンルンファイト70キロ・トーナメントで実績を残していたのに対し、当時のユン・チーの肩書きは2014年武林風の新人王のみ。あくまで卜部の負傷欠場を穴埋めするために急遽出場することになった中国人ファイターという位置づけだった。
しかしユン・チーを招聘したCFPの岩熊宏幸代表の見方は違った。岩熊代表は当時のことをこう振り返る。
「ユン・チーは当時の中国人には珍しくパンチで倒せるタイプで、この選手は日本でも受けるだろうなと思って注目していました。2016年6月4日に武林風とKrushの対抗戦が行われた時も、対抗戦のあとに行われたワンマッチに出場していて、タイ人選手をKOしていたんですよ。
ちょうどその対抗戦後のタイミングでK-1から『選手の欠場で60キロで試合ができる選手を探している』という連絡をもらって、ユン・チーを推薦しました。私はユン・チーのファイトスタイルや強さを知っていたのですが、どうしても新人王以外の肩書きがないので、なかなか招聘するチャンスがなかったんです。だから日本では無名のユン・チーにとっては代打出場でK-1に出るチャンスが巡ってきたのは本当にラッキーだったと思います」
ほとんどのファンが小宮山の勝利を予想するなか、ユン・チーは小宮山から右ストレートでダウンを奪い、大番狂わせの判定勝利を収める。この勝利と戦いぶりが評価されて、ユン・チーは同年11月の初代フェザー級王座決定トーナメントに抜擢され、同トーナメントでユン・チーは更なるインパクトを残す。
1回戦ではフェザー級屈指のタフさを誇る神戸翔太から合計4度のダウンを奪って圧勝。一気に優勝候補に名乗りを上げると、準決勝では2階級制覇に燃える武尊と拳を交える。
試合前に首を刈るポーズで武尊に見せつけたユン・チーは真っ向勝負の打ち合いを展開。1R終盤に強烈な左ボディを叩き込んで武尊の動きを止めると、ラウンド終了時には武尊の頭を撫でて挑発し、これにいら立った武尊がユン・チーをにらみつける場面も生まれた。
2Rも2人は激しい打ち合いを続け、最後はユン・チーが武尊の強打に沈んだものの、武尊に「試合で初めてボディを効かされた」と言わしめ、ユン・チー戦は武尊の新生K-1時代の試合のなかでも指折りの激闘となった。
2017年もユン・チーは定期的に日本のリングに上がり、小澤海斗や佐野天馬らと対戦し、日本の軽量級を盛り上げた。パンチ主体のK-1ル―ルに適したファイトスタイル、そして対戦相手を挑発・トラッシュトークをして試合を盛り上げるプロとしての言動。ユン・チーはそれまでの中国人ファイターの概念をがらりと変えた、新時代の中国人ファイターだったと言えるだろう。
岩熊代表によれば、ユン・チーは日本での活躍を経て、貿易関連の仕事に携わり、自らのジムを2店舗経営するなどビジネスマンとして活躍。セミリタイア状態が続いていたが、現K-1クルーザー級王者のリュウ・ツァーやジャオ・チョンヤンといった中国の強豪選手が籍を置く唐山文旅驍騎ファイトクラブ所属として、昨年9月に復帰戦を行っている。
ただしこれも完全復帰というわけではなく、スポットでの復帰だったようで、現在は生まれ故郷に戻って生活しているとのことだ。
今は戦いの第一線から退いたユン・チーだが、彼の獰猛なファイトスタイルでハイレベルかつエキサイティングな試合は日本のファンの心に深く刻み込まれている。