アンディ・フグのK-1参戦は、当時大きな話題を呼んだ。というのも、アンディが極真カラテの外国人スター選手だったからだ。
極真カラテ創始者の大山倍達総裁が他界される前の極真カラテは、その人気と影響力は絶大で、そこから選手を引く抜くなんてことは、到底考えられないことだった。
だが、K-1創始者の石井和義館長は、アンディだけではなくサム・グレコ、マイケル・トンプソンなどの人気選手を次々とプロ化へ導き、新しい流れを作り上げていた。
その中でもアンディの人気は、頭一つ抜きん出ていた。彼の得意技は、「カカト落とし」。体重無差別級の中では身長は低い方だったが、それを補うフィジカルと足を高々と上げてカカトを相手の頭頂部へ落とす斬新な技で、次々と背の高い屈強な大男たちを倒していった。その勇姿に、日本のファンは“青い目のサムライ”としてリスペクトしていったのだ。
1993年に旗揚げしたK-1は、すでにアンディを大会で起用していたが、いずれもパンチの顔面攻撃を禁止した空手ルール。どこまでパンチの顔面攻撃が許されたキックルールに順応できるのか、注目を集めていた。
それを試されたのは、その年の11月15日に行われた「ANDY’S GLOVE」と銘打たれた大会だ。イベント名にある通り、アンディが初のグローブマッチをすることとなった。
相手は、K-1の9月大会の空手ルールで対戦した村上竜司。アンディは空手ルールこそ、“カカト落とし”一撃で村上をKOしたが、グローブマッチになると立場は逆転する可能性があった。村上はボクシング経験者で、グローブマッチの試合経験も豊富。黄金の左フックと呼ばれる必殺技で、何人もの鼻を折ってきたからだ。
空手では強いアンディだが、グローブマッチではどうか?という疑問が浮上していた。
もしも、この試合でアンディがKOで負けることになれば、K-1は大きく軌道修正をしなければならなくなる。これは大きな賭けとなった。
ところが、アンディは蹴りをうまく使い村上にダメージを与え、パンチ連打でKO勝ちを収めた。相変わらず攻撃力が高く、グローブデビュー戦としては合格点を与えてもいい結果となった。
しかしながら、不安はディフェンス面だ。村上はアンディの蹴りを警戒していたため、結果的にパンチ連打でKO負けを喫することとなった。そのためアンディの顔面に得意の左フックを叩き込むことができず、どこまでディフェンスできるのか未知数のままに試合が終わった印象を残した。
アンディは顔面有りでも強いのか、どうなのか。その結果は翌94年に衝撃の答えが出ることとなった(以下、次回)。