文◎松井孝夫
1993年に第1回大会が開催されたK-1GP(WGP)は、翌94年を迎え、いよいよ本格的に成功への軌道に乗り始めることとなった。その推進力になっているのは、アンディ・フグの登場だ。
アンディは極真カラテの外国人スター選手で、日本でもその実力と知名度が広まっており、93年にはK-1ルールで村上竜司、エリック・アルバートからKO勝ち。94年3月には、初代K-1王者のブランコ・シカティックから判定勝ちを収め、ついに顔面パンチ有りのK-1の本丸へ乗り込んできた。
優勝候補に名を連ねたアンディは、K-1GP第2回大会一回戦で米国の喧嘩屋パトリック・スミス(故人)と対峙した。スミスはUFCの第1回大会に出場しパンクラス王者のケン・シャムロックにヒールホールド一本負けも、第2回大会は決勝に進みホイス・グレイシーと対戦し準優勝に輝いている。
だが、スミスは空手やキックボクシングをバックボーンに持っているため、むしろMMAよりもK-1への適正はあったといえる。何よりも思い切りのいい打撃は、K-1向きと見ても間違いではなかっただろう(※結果として亡くなる3年前の2016年までMMAを戦い通算戦績は20勝17敗だった)。
そして、事件は起こる。ゴングとともに猛攻を仕掛けたスミスは、なんとアンディが得意とするカカト落としで攻撃。これをアンディがディフェンスするも、スミスはそのままの勢いで素早い右フックを繰り出す。見事にアンディのアゴを打ち抜き、ダウンを奪った。
いきなりダウンを喫するアンディの姿を見て、会場は騒然となる。ダメージがありそうなアンディは立ち上がるも、足にきている印象だ。そこへ勢いに乗るスミスが、前蹴りから左右のフックで一気に畳み掛けた。一度、パンチ連打の猛攻で腰を落としそうになるもすぐに立ち上がったアンディは、スミスの右ストレートをまともにもらい二度目のダウン。トーナメントは2ノックダウン制を採用していたため、わずか19秒でアンディのKO負けが決まった。
K-1のスター選手が、MMAファイターに敗北を喫した衝撃はかなりのインパクトを残した。初代K-1王者のシカティックに勝ったのは、フロックだったのか。そう思われてもおかしくないアンディのKO負けとなった。
スミスは準決勝でピーター・アーツと対戦するも、右ストレートをもらってしまい1RKO負け。そのままアーツは、準決勝でシカティックから判定勝ちを収めた佐竹雅昭と決勝で激突し、危なげないファイトで初優勝を飾った(表題の写真は1994年、K-1GPを制した翌月にピーター・アーツが当時の世界的に有名だったアイントフォーヘンの格闘技ギアショップ=ニッコートーショーグーを訪れた時のモノ)。
K-1GP第2回大会は、アーツの初優勝というよりも、アンディのKO負けという衝撃の方が大きく心にのしかかってくるような印象だった。第1回大会も優勝候補と呼ばれる選手が総崩れになり、当時無名のシカティックとアーネスト・ホーストが決勝で争うこととなったが、第2回大会も番狂わせが起こってしまった。
この頃から、K-1には魔物が潜むと言われ始め、番狂わせのK-1のイメージが定着していくことに。その魔物に好かれたアンディは、ここからさらに地獄を見ることとなった(以下、次回)。