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【コラム】武蔵、ミルコがK-1GPデビュー1996年はターニングポイントに(執筆者:松井 孝夫)

1996年は、K-1にとって大きなターニングポイントを迎えたといっても過言ではないほど、たくさんの出来事があった。

4回目となる無差別級のK-1GP(WGP)の開幕戦が開催され、武蔵(※当時はムサシ)、ミルコ・クロコップ(※当時はミルコ・タイガー)が初めてGPに出場した。

この時に“タイガー”を名乗っていたミルコは、クロアチアの英雄で初代K-1王者のブランコ・シカティックの愛弟子として参戦。シカティックが主宰するタイガージムの名前を借りた形となっていた。その後、両者は仲違いをして分かれることになるのだが、ミルコにとっては出世への入口になったことは間違いない。

そのミルコのK-1での最初の相手は、前年のGP準優勝者のジェロム・レ・バンナだ。まだ“ハイパー”がつかない“バトルサイボーグ”のバンナは、蹴りが上手な技巧派というイメージだった。

若かりし頃のミルコも、柔軟性があって蹴りがうまい選手という印象だったが、突き抜けて何か特長があるように感じなかった。バンナとのデビュー戦は判定で勝つことができたが、決勝トーナメントでは初戦で天敵と言ってもいいアーネスト・ホースト(通算3戦3敗)のローキックを受けてKO負けを喫し、ほろ苦いK-1でのスタートを切ることとなった。

一方の武蔵は、95年のK-1のワンマッチでアンディ・フグを倒したパトリック・スミスと対戦し、ハイキックを決めて2RKO勝ちの華々しいデビュー戦を飾った。当時は体重83キロと100キロを超えるヘビー級の中では身体の線が細いものの、逆にK-1のトップクラスに入るほどのスピードを持っていた。

佐竹雅昭に続く日本人のスター選手登場の期待を一身に受けた武蔵は、ここから頭角を現すようになる。GP開幕戦は、キット・ライキンズ”ザ・ホワイトドラゴン”を得意の蹴りで翻弄して1RKO勝ち。GP決勝初戦は、極真のスター選手のサム・グレコと激突し、相手の負傷による勝利を得ることとなり、運も味方した。

そして準決勝は、マイク・ベルナルドの剛腕パンチをディフェンスしたものの惜しくも判定負け。キックボクシングの試合経験がない武蔵が、いきなり3位入賞という偉業を成し遂げた。

武蔵の最大の特長は、スピードを活かしたテクニックにある。フィジカルや体格、パワーでは勝てない外国人に対抗するためには、スピードとテクニック。これを磨いた武蔵は、のちに“武蔵流”と呼ばれるディフェンス重視の技術体系を確立していった。

だが、KO至上主義のK-1において、この“武蔵流”は「邪道」や「つまらない」との批判の声が上がっていくことに。武蔵については、この後の連載で深堀していくが、天才のK-1デビューは日本にとって大きかったのは事実だ。

そして、1996年のGPの主役はアンディ・フグである。第2回GPは、パトリック・スミスに初戦KO負け。第3回GPは、マイク・ベルナルドのパンチで沈み、一回戦敗退。限界説が浮上した中での、自身3回目のGPを迎えることとなった。

悲壮感を身にまとったアンディは、GP初戦でUWF系プロレスラーのバート・ベイルとの試合が組まれていた。ベイルはキックボクシングの経験があるパワーファイターだが、K-1の一線級で通用するのは厳しいと見られていた。そんな相手と組まれたアンディにとって、屈辱以外の感情はなかったことだろう。

だが、そこまでの相手を用意しないと勝てないと思われていた極真カラテのスター選手は、この後、とんでもないことをやってのけることとなる(以下、次回)。

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